*Think*


僕が日々考えてることや、感じたこと思ったことをテキトーに綴っていきます。
セクシュアリティに関することや、自分自身について、その他いろいろ。



1、自分史(2006/09/18)
2、カミングアウトって(2005/08/24)
3、同性婚について(2005/10/10)
4、長靴のはなし(2005/10/20)
5、読書のススメ(2005/11/11)
6、カメレオン症候群(2005/11/14)
7、タクシー(2005/12/24)
8、性同一性障害と異性愛社会(2006/02/07)
9、ネコにかまけて(2006/06/04)


ここからは過去の日記を転用(消えてしまったので)。
自己満足的に保存しておきます(学生の頃の戯言)。


1、テトリス?(2005/12/28)
2、眼にて云ふ(2006/02/20)
3、花束でさえ凶器にできる人たち(2006/03/07)
4、グリーンピース(2006/04/16)
5、記念日(2006/08/02)
6、犬(2006/09/10)
7、変らないということ(2006/10/04)
8、笑い(2006/10/13)
9、てんしょくのススメ(2007/11/04)
10、とある診断結果(2007/11/20)
11、適量(2007/11/26)
12、どうでもいい話(2007/12/12)
13、遠足のおやつ(2008/01/30)
14、子どもの視野(2008/02/26)
15、本気(2008/03/08)
16、大人と子ども(2008/03/19)
17、Just can't help it.(2008/03/26)
18、距離感(2008/04/02)
19、仕事(2008/04/25)
20、まじめくさった人に大した考えはない(2008/04/27)
21、肩書き(2008/06/04)
22、ゆっくり歩け、たくさん水を飲め(2008/06/13)
23、なんだかうまく語れないんだ(2008/06/23)
24、知らない路地を歩くように生きたい(2008/06/30)
25、振れ幅(2008/07/04)
26、かたちのないもの(2008/07/07)
27、口について思うこと(2008/07/27)
28、想像する。考える(2008/08/04)
29、偏食(2008/08/15)
30、助走なし(2008/8/17)
31、非論理的な、身体的な(2008/09/11)
32、今日の私は何をするのか(2008/09/12)
33、両手に空白を(2008/09/15)
34、安全でも適切でもないところ(2008/09/21)
35、中間なし(2008/11/19)
36、昼休みの雑談(2009/04/06)
37、あなたの視点を読みたい(2009/04/16)
38、今、ここ、私(2009/04/23)
39、曖昧な、矛盾した、反造形的な、偶然な、(2009/05/06)
40、世襲が好きではない件(2009/05/16)
41、日本の位置(2009/05/12)

1、「自分史」


【幼少期】

はじめて覚えた単語は「慰謝料」
おかんを大いに驚かせる。


【小学校】

勉強が大好きで、成績も優秀。
めっちゃ野球少年。
ザリガニ博士。

母子家庭。おかんは夜のお仕事。
なので祖父母の家で育てられる。
幸せな日々。

この頃、好きになる子は女の子ばっかり。


【中学校】

思春期到来。相変わらず好きになるのは女の子。
でも、ちょっと男の子にも興味があったり。なかったり。

野球部のエースになる。
ポケットにはハンカチをしのばせていた。
元祖ハンカチ王子です。

この頃はけっこうモテた。
特に変な女の子から。


【高校】

好きやった女の子と付き合うことに。
幸せな感じ。Hもした。でも、ちょっと違うかも。
なんか違和感。

プールの着替えの時とか、他の男の子の体が気になったり。
恋愛対象が女の子から男の子に移行しはじめる。

この頃はクラスの人気者。自分で言うのもなんやけど。
バレンタインデー、もらう義理チョコの数はクラス1。
人間は顔ではないと学ぶ。

この頃もそこそこモテた。
特に変な女の子から。

1こ下の後輩から告られて、スケスケのやらすぃ下着をプレゼントされたり、
林家パー子似の女の子にものすごく言い寄られたり、
それはそれは刺激的な毎日。


【大学】

はじめて男の子に恋をする。
でも、無理して女の子と付き合ってた。
自己嫌悪の毎日。

ビール大好き人間になる。
サークルやゼミでの貴重な出会いがたくさん。
一生ものの友達がいっぱいできた。
自分をさらけ出してみたいと思える仲間ができた。

サークルの先輩にカミングアウトをしたのを皮切りに、
ゼミのみんなにカミングアウト。
自分らしく生きていくためのきっかけになった。

サイトを始めたり、こっちでの活動をしていくうちに
少しずつゲイの友達も増えてくる。


【社会人】

社会人1年目。
希望通り、出版業界で働くことができた。

課長は鉄道マニア、係長はみえみえのカツラ、
主任(女)はすね毛ボーボー。
個性の寄せ鍋みたいな課に配属されましたが、
それなりに幸せです。

4年後に退職予定。
彼氏随時募集中。
最近ダーツにはまってます。


2、「カミングアウトって」


カミングアウトについて思うことを書きます。
何人かにカミングアウトをしてきて思うことは、自分の信頼してる人たちに
カミングアウトしてきてよかったな、ってこと。
「素」の自分をさらけだせるってほんと気持ちいい
今、自分の周りには良き理解者がたくさんいる。
これは自分の力ではなく、周りの友人に恵まれてるからだな、
ってつくづく思わされるけど。


カミングアウトせずに友達関係を続けていくこともできる。
でも、そこには「異性愛者」を演じてる自分がいるだけで、
本当の自分を出して付き合ってるわけではない。
そこには「深い関係」って生まれにくいと思う。
深い友達関係だけが重要やってわけじゃないけど、やっぱり僕は、
僕のすべてを知ってもらった上で関係を築いていきたいと思ってる。
高望みかもしれんけど。


BBSにある人が書いてくれた言葉がすごく印象に残ってる。
「カミングアウトって、自分のことをわかってほしい、
好きになってほしいってことやね」って。
「だから、カミングアウトされた方はうれしい」って。
この言葉には「なるほどなぁ」って感じたし、なんか嬉しかった。


そういえば、僕がカミングアウトした人たちは、まず最初に絶対こう言う。
話してくれてありがとう」って。
僕はこの言葉に出会うたびに、心底嬉しくなる。
自分が生きていく意味を与えられたような気持ちになる。


まだ経験はないけど、カミングアウトした相手に拒絶されることだって
これから先きっとあるはず。
でもそれは、その人との関係がその程度やったってことじゃない?
だから、カミングアウトする相手さえ間違えなければ、傷つくこともないのかな。
自分が本気で信頼してる人に拒絶されたらほんまにショックやけどね。
てか、カミングアウトなんてする必要がない、多様な性が認められる社会になれば、
こんなに深く考えたり悩んだりする必要なんてないのにな、って思う。


もうすぐサイトを開設して1ヶ月になる。
1、自分の周りの大事な友達に「素の自分」を知ってもらう
2、自分以外のゲイやバイの人とのつながりを作ってみたい
この2つが当初の目的だった。


1つ目の目的はもうすでに達成できたように感じる。
ここ最近、ゲイの友達も少しずつできてきたけど、このサイトを通じて
できたわけじゃないので、これからは2つ目の目的を達成できるように
リンクとか少しずつ増やせていければいいかな、って思う。
ゲイの友達とのつながりってきっと何物にも変え難いものになると思うし。
非社交的な人見知りっ子やけど、頑張ってつながりを作っていきたい。


そして、僕がもっと大切にしなければいけないのは、僕の周りにいてる
異性愛者の友達です。良き理解者であり、心の支え。
ある人がBBSに書いてくれた、「けいのことを誇りに思うよ」って言葉。
そっくりそのまま返したい。
僕は自分のことをわかってくれるステキな友達を持てたことを誇りに思います。
今まで自分を卑下し続けてきた僕に、いっぱい勇気をくれました


異性愛者の理解者がたくさんいるってことが、今の僕の一番の武器です。
ありがとう。

3、「同性婚について」


結婚。できるものならしてみたい。
「結婚」って制度にこだわる必要なんてまったくないやん!
って、考えてる人もいるかもしれんけど。たかが紙切れ1枚のことなんやしって。


でも、制度として「同性婚」は認められて当然のことやと思う。なぜなら、同性愛者だって
異性愛者と同じだけ税金を払って日本に暮らしてるんやから、同じ社会的保障を受ける
権利がある。別に婚姻制度じゃなくて、パートナーシップ制度でもいいから、
日本にもできてほしい。


たかが紙切れ1枚というけど、「結婚」という制度をとっていないと、税金、保険、相続などの面で
社会的保障が得られない
わけやし…。それに、純粋に好きな人と結婚したいって思いも勿論ある。
愛し合ってる二人が結婚できない社会ってなんなんやろ…と思ってしまう。


現在、世界で「同性婚」が認められているのは4カ国。 オランダ、ベルギー、カナダ、スペイン
このほかにも、同性カップルにも結婚に準ずる権利を与えるドメスティック・パートナーシップ制度を
設ける国が多くある。(北欧諸国やアメリカの一部の州など)
同性カップルが養子をもらう権利を認めている国もある。


日本では100年たっても無理やろなぁ・・・
無理やと決めつける前に何か行動を起こせよと言われそうやけど。
僕一人の力でなんとかなる問題ではない。


今の日本では、同性カップルが社会的保障を受ける手段として、「成年養子」の制度を使って
養子縁組をして、法律的に親子関係を結ぶという手段
と、弁護士に頼んで「公正証書」を
作ってもらうという手段
がある。このどちらかの手段を使えば、相続の面で不利を受けることはなくなる。
でも、お互いの親族に同意を求める際にトラブルになる可能性もある。


ほんと日本は住みづらい。そのうち気が向いたら移民してやる。


4、「長靴のはなし」


この間、雨が降ってた日に思い出したことがある。
そういえば、ちっちゃい頃の僕はものすごく雨の日が好きやったな、って。
雨の日が好きというか、雨が降るのを楽しみにしてたの。
なぜかというと、長靴がはけるから!


小学校1年生ぐらいの頃かな、新しく買ってもらった長靴をすごく気に入って、
買ってもらった次の日、晴れやのにはいて行こうとして、おかんに怒られてた記憶がある。
えらいベタな話しやけど。


あと、祭の出店ですくってきた金魚を、なぜか長靴の中に水を入れて飼おうと
したことがあって、このときもかなり怒られた。でも、家に水槽がなかったし、
たしかに水槽の代わりになりそうな物は他にもあったんやろけど、長靴が一番理想的
というか、金魚も喜ぶんじゃないかとか考えながら選んだんやと思う。
今考えてみれば、なんで長靴やねん!って感じやけど。
僕、ちっちゃい頃かなり頭が悪かったんです。はい。


で、そんなに好きやった長靴やのに、21歳になった今、僕が長靴をはくことはなくなった。
そういえば、いつを境に長靴をはかなくなったんやろうか・・・と記憶をたどる。
まったく思い出せんけど、きっと小学校の高学年の頃にはもう卒業してた気がする。


長靴に限らず、大人になるにつれて「そんなに必要じゃない」って物が増えてくる。
そんで、必要じゃないって判断した瞬間、まったく使わなくなったりするでしょ?
そういう「必要なもの=使う」 「必要じゃないもの=捨てる」っていう大人の持つ合理性は
なんか好きになれない。必要じゃない物の中にしかない、おもしろいことだって
いっぱいあるはずやし。


僕は「幅のある人」をすごく尊敬するし、好きになる。
いろんな経験をしていて、たくさんの引き出しを持ってる人。
自分が持ってない選択肢を持ってる人。
そういう人にはどこか余裕が感じられるし、心にゆとりがあるように思う。
そういう人らが持ってる「幅」っていうのは、必要じゃないものを拾い集めた結果、できたもの
なんじゃないかな、って感じる。主旋律ばっか聴くんじゃなくて、雑音を拾っていかないと、
きっと「幅のない」人間になってしまうんやろなって感じる。
そして、幅のない人間ほどおもんないものはないとも思う。


僕はできれば幅のある人間になりたい。飛躍的な発想のできる人になりたい。
これからは、そんなに必要じゃないかも。。って思ったことも大事にしていければいいかな
って思う。だからって、今更長靴をはく気にはなれんけど


5、「読書のススメ」


改めて言う必要はないかもしれんけど、僕は本が大好きです。
一回BBSにも書いたけど、「君の命は明日まで」って宣告されたとしたら、
最後の1日で何がしたいかというと、ビールを飲みながら好きな本を読んで
いたいと切実に思う。
それに、死ぬまでに1冊でも多くの本を読みたいなって常々思ってる。


じゃあ、読書の魅力ってどういうものなのか。
それは映画やドラマなどの「映像」ものと、本という「活字」ものの違いを
考えていけばわかってくる。


映像は視覚、聴覚などに鮮明に伝わってくるものやけど、本は違う。
活字だけ。ただの字の集まり。
だから、映像を理解するより、活字を理解する方が想像力を使う。
文を理解して、頭のスクリーンにその情景を投影する作業が必要とされる。


つまり、読書って、個々人の想像力(創造力)が必要とされてるのです。
また、人によって想像の仕方なんかが違うわけやから、人によって本の内容の
解釈がまったく違ってくる。そこがなんとも面白い。


たとえば、「青い空」という一文がでてきたとしても、人によって頭に浮かべる
「青い空」の映像は違ってくる。
Aさんは、水色に近い青色の空をイメージするかもしれないけど、
Bさんは、紺色に近い青色の空をイメージするかもしれない。


読書には、見る作業に加えて「作る作業」が必要とされる。
作るというのは想像力(想像力)を駆使して、本の内容を理解するということ。
想像の仕方はさっきも言ったように十人十色。
100人の読者がいれば、100通りの物語ができることになる。


だから、同じ本を読んだ人と感想を述べ合うことは、物凄く楽しい。
映画の感想を言い合うのとは少し違う。
本の理解ってのは、個々人の想像力の違いが色濃く反映されるから、
お互いに感想を述べ合うと、その作品についての新たな発見や、違う解釈
の仕方などがいっぱいあらわれてくる。


もちろん、それだけが読書の魅力ではない。
いろんな価値観に触れることによって、自分の引き出しが増える
活字に慣れることで、知らない言葉を覚えることができたり、文章の
書き方が身についてきたりする。
そして何といっても、本を通じていろんな世界に旅立てるなんてステキすぎる!!
最後に3人の作家さんの作品から、印象的なフレーズを引用して終わります。
本好きの人にはたまらない、心動かされる言葉です。


「だってあんた、開くだけでどこへでも連れてってくれるものなんか、
 本しかないだろう」
↑角田光代『この本が、世界に存在することに』(メディアファクトリー)より


「のび太はタイムマシーンに乗って時代を超えて、どこでもドアで世界を回る。
 マゼランは船で、ライト兄弟は飛行機で新しい世界に飛んでいく。
 僕は本を開いてそれをする
↑瀬尾まいこ『図書館の神様』(マガジンハウス)より


「本はこれから生きてゆく子供たちのためにあるんだから、本だけは焼いちゃだめだ
 それだけは断じて僕が許さない」
↑大崎善生『別れの後の静かな午後』(中央公論新社)より


6、「カメレオン症候群」


日本の学校(教育)って、 子どもたちに同質性を求めてるような気がする。
同質性が強制されるということは、自己決定が阻害されるということ。
「個性を育む」教育からは程遠い。
今の日本の学校は、「フツウ人間製造学校」って感じ。


そんな中で育つと、周りと違うということに不必要に恐怖感を感じたり、
周りと同じ(フツウ)でないと安心感を得られない、そんな人間になってしまう。
周りの色に自分の色を合わせていくような人間になってしまう。
僕自身もそんな教育を受けてきたから、そんな人間になってしまった。
でも、今ならわかる。フツウという言葉には意味がない、ということが。


ところで、僕は目立ちたがり屋です。
昔から、人と違う何かを表現することで「特別」な存在でいたいと思ってきた。
多数の人がすることと違うことをすることで目立ちたいというか。
とにかく、自分は周りとは違う何かを持ってる!ってことをアピールしたかったのかな。


でも、自分は周りとは違う特別な存在だ、なんて思ってる奴に限って、たいがい平凡で
フツウな人間なんよね。少なくとも僕に関してはそうです。


でも、「人と違いたい」と強く思ってる反面、「人と違いすぎたくない」という思いも
また強く持っていた
。周りが考える「フツウ」の域を出てしまえば、たちどころにして
自分は阻害されてしまうんだ、ということをよく理解していたから。


だから、僕は自分が「同性愛者である」ということを認識しだしたとき、
これは絶対に隠しきらないと大変なことになると考えたのでした。
同性愛者なんてものは、周りの考える「フツウ」からかけ離れたところに存在
するものだったから。


学校では安易にホモネタが飛び交い、ホモだとされた奴はいじめの対象とされた。
テレビでも、ホモやオカマを馬鹿にするような場面しか映し出さない。
同性愛者って侮蔑の対象でしかないのか・・・。じゃあ、一生隠し切らないといけない。
思春期の頃、そう思ったことを今でも覚えてる。


この頃に自分の中に形成されたホモフォビアは未だに根強い
メディアもあの頃に比べて少しずつ変わってきている。(ほんの少しだけやけど)
僕が今一番必要だと感じるのは、教育現場の改革です。
苦しんでいる同性愛者の子どもたちを救うためにも、「日本の教育」を変えてほしい
クラスの先生が、「同性を好きになることは変なことではないんだよ」と一言
言ってあげるだけで、どれだけ当事者の子どもが救われることか。


ゲイ・バイセクシュアルの男性の64%が今までに自殺を考えたことがある、という
調査結果が筑波大学の調査から明らかになっている。
過去のアメリカの調査でも、同性愛者の自殺率が異性愛者よりはるかに高いという
ことがわかっている。暗数も考慮に入れると、もっと格差はでるだろう。


こうゆうのって、教育現場が変わっていけば、絶対に改善されていくのに・・・
って思ってしまう。日本もカナダの教育実践を見習ってほしいなって強く思う。
次回の「Think」では、カナダの教育現場について少し詳しく書いてみます。


7、「タクシー」


この間、久々にタクシーに乗った。
時間忘れて飲み続け、終電に間に合わなかったから 笑
家まで2駅ぐらいやし、タクシー使っちゃえ! って思って。
でも、実は僕、タクシーが苦手なのです。
うまく言えないけど、タクシーを見ると悲しい気持ちになるんよね。


僕は生まれたときから、母一人子一人の母子家庭で育ちました。
母一人の力で子どもを大きくすることは、周りが考えるよりとても
難しいことです。とくに経済面で。
うちの母親は僕が生まれる前から「お水の仕事」をしてたので、
経済面では安定してたけど、その分子どもと接する時間は少なかった。


夕方6時ごろ、きらびやかに変身した母を家の下まで送りに行くのが
僕の日課やった。家の下にタクシーが来てて、母はそれに乗って出勤していく。
で、まだ小さかった頃の僕(幼稚園〜小学校低学年の頃)は、
祖母とそのタクシーを見送り、そのあとは祖母の家で寝泊りすることに
なってた。


今でこそ母親とは仲が悪いけど、まだ小さかった頃の僕はお母さんのことが
大好き
で、一時も離れたくないと思うほど大好きで、だから、毎日夜になると
自分のお母さんを連れて行ってしまうタクシーにものすごく憎しみを
感じていたのかもしれない。


そんなことがあったからか、今でもタクシーに乗るとその時の気持ちを
思い出してしまって、ちょっと悲しい気持ちになるの。
ある曲を聴いてると、その曲にまつわる思い出がよみがえってくる
ことって、けっこうあると思うねんけど、その感じに近いのかな?


人って、昔感じてた気持ちとかを案外すぐに忘れてしまう
あの時はあんなにも喜んでたのに今はその時の気持ちを正確に
思い出すことができないとか・・・。あの時はあんなにも悲しんでたのに、
今はその時の痛みなんて思い出そうと思っても無理やったり・・・


人間は忘れる生き物やって言うけど、それってなんか寂しいよね。
だから、その当時の気持ちを、ふとした瞬間に思い出させてくれる
「モノ」
って、僕はすごく貴重やと思うし、大事にしたいなって思うの。
僕にとって、その「モノ」っていうのが、タクシーになるのかなぁ。


ほろ酔い気分でタクシーに揺られながら、そんなことを考えていました。


8、「性同一性障害と異性愛社会」


2003年7月、「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」(特例法)が
衆議院本会議で可決、成立し、2004年7月16日に施行された。この特例法の施行後、
戸籍の性別変更の申し立てが相次いでいるそうです。


この特例法では、性別変更を認める要件として、
@ 2人の専門医が一致してトランスセクシュアルであると診断していること
A 20歳以上であること
B 申し立て時点で結婚しておらず、子どももいないこと
C 性別適合手術を受け、生殖能力がないこと
D 外性器の部分が変更後の性別に近似する外観を備えていること
などがあげられています。


これらの要件を満たせば、戸籍の性別を変更でき、旅券や住民票、保険証などの
公的書類の性別も心の性となり、心の性からみて異性との法律婚もできます。


トランスセクシュアルは、公的書類の性別と外見の性が異なるため、安定した仕事に
就くことが難しかったり、選挙の投票や通院、海外旅行などの日常生活において
いろんな困難に遭うことがあるけど、この特例法によって、上記の要件を満たす
トランスセクシュアルについては、こうした不利益から解放されることになった。


でも、問題視される点もある。例えば要件Bについて。
現在の日本の社会では、経済的理由から結婚せざるを得ない女性が多いし、
また、男女を問わず、結婚をするのが当たり前という風潮が強いため、周囲の強い
勧めから結婚を余儀なくされ、子どもをもっているトランスセクシュアルも少なくない。


だから、結婚し、子どもがいるということは、トランスセクシュアルではないという
根拠とはならない
。これらの人たちは、本来の自分の身体を取り戻し、自分の
心の性として生きていくことを切望しているのであり、一律に対象外とするのは不当。


要件Cについても疑問がある。
トランスセクシュアルの中には、健康上の理由から手術ができない人もいるし、
ホルモン投与などで心の性として生きることが困難ではないトランスジェンダーも
いる。要件Cは、これらの人たちに「性別変更をしたいのなら手術をしろ」と
言っているようなもの
だと感じる。


このように、この特例法は異性愛社会における家族秩序に反しない範囲で
制定されています。男女の二分法にこだわり、男らしさ、女らしさを強要する
異性愛社会の中で、苦労を強いられる人はたくさんいます。
トランスセクシュアルに限らず、同性愛者だってそうです。
家制度や家族制度をも含めた異性愛社会自体の変革が不可欠なんだろなぁ・・・
と感じています。


<参考文献>
部落解放・人権研究所 『人権年鑑2004』 解放出版社 2005年
60ページの「第17章 セクシュアルマイノリティ」(石元清英)を参照


9、「ネコにかまけて」


最近、相方(ネコ)探しに必死になってます。


って、こんな書き方すると誤解されそうでこわいけど。笑
昨日(6月1日)の日記に書いたとおりです。


今日は後輩からの飲みの誘いを断って、ずっと家の近所を
散策してました。ネコ探しのために。


すると、ネコがわんさかわんさか見つかった。
自転車置き場に、路地裏に、ゴミ捨て場に、表通りに・・・
意識してネコを探してみると、案外すぐに見つかる。


今まで、自分の周りにこんなにネコがいるなんて思ってなかった。
日々の生活の中で、ネコを目にすることなんてなかったはず。
でも、それはネコがいなかったわけではなくて、
ネコが見えてなかっただけ



「無関心」というのは、存在が見えなくなることなんや、とふと思った。
そして、こんな疑問が心に浮かびあがった。


ネコにも見えてないものはあるのかなぁ?


そして、僕が考えた答えはこう。
ネコに見えてないものは、ネコに対して「無関心」な人
つまり、今までの僕みたいな人間のこと。


きっと、僕にネコが見えてなかったように、ネコも自分に無関心な
「僕」が見えてなかったような気がする。だから、ネコを意識的に見ようとした今、
はじめてネコたちの中で僕が認識されたのかなぁ、って思った。


働き出してから忙しすぎて、ただひたすらに毎日が過ぎ去ってしまう。
そんな中で「意識的に何かを見る」ことが少なくなった。
こんなんじゃ、何も感じないココロになってしまいそうで怖い。


今日はそんなことをグダグダと考えてました。

1、「テトリス?」


今日、一日中考えていたこと。
フィギュアスケートのジャンプのことを、1回転はシングル、
2回転はダブル、3回転はトリプル、って言うけど、4回転はなんて言うの?


3回転とんだらトリプルアクセルとかトリプルトウループとか言うのに、
4回転をとんだときって、「4回転」としか言わんよねぇ・・・
4回転にもなにか言い方があるはずやのに(たぶん)、解説者が言ってる
ところを聞いたことがないのです。


なんでなんやろ?? って今日はずっと考えてました(ヒマな証拠)。
そして、僕が出した仮説は、4回転には呼び名がちゃんとあるんやけど、
その呼び名はめっちゃ恥ずかしい呼び名で、解説者は口にするのを
ためらってる
んじゃないのか、という説。


そして、もう一つの仮説は、やはり4回転には呼び名がちゃんとあるんやけど、
やたらと長い名称で、解説者が言うと必ずといっていいほど噛んでしまうから
あえて言わない、という説。


スケート連盟?的なところがルールや採点基準を大幅に変えて、4回転を
とぶ人が少なくなったのも、スケート連盟の思惑通りで、実は採点基準を
変えることで4回転をとぶ選手をなくし、解説者に負担を与えないように
していたとは考えられないか?? ・・・考えられないな。


すみません、妄想族で。
でも、ほんと4回転ってなんて言うんやろね・・・
ひょっとして「テトリス」とか!?
ないか・・・


テトリスアクセルとかテトリスルッツとか・・・
ちょっと近未来的な感じがして素敵やと僕は思うのだが・・・
誰か呼び名を知ってたら教えてください(切実に)。

2、「眼にて云ふ」


だめでせう
とまりませんな
がぶがぶ湧いてゐるですからな
ゆふべから ねむらず血も出つづけなもんですから


そこらは青くしんしんとして
どうも間もなく死にさうです
けれども なんといゝ風でせう
もう清明が近いので
あんなに青ぞらから もりあがって湧くやうに
きれいな風が来るですな


血がでてゐるにかゝはらず
こんなにのんきで苦しくないのは
魂魄(こんぱく)なかば からだをはなれたのですかな
たゞどうも血のために
それが云へないが ひどいです


あなたの方からみたら ずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
わたくしから見えるのは
やっぱりきれいな青ぞらと
すきとほった風ばかりです


新編 宮沢賢治詩集/宮沢賢治

3、「花束でさえ凶器にできる人たち」


僕はプロレスが大好き。
壮絶な人間ドラマ。まさにエンターテイメント。
中でも「ヒール」と呼ばれる「悪役レスラー」に僕はいつも魅了される


決して勝つことは許されない、ヒーローの引き立て役。
最後にはヒーローに打ちのめされ、それを見て観客は喜ぶ。


怖いテーマ曲とともに現れて、凶器を振り回し、時には緑の霧を噴き、
マイクパフォーマンスで対戦相手と観客を罵倒する。
反則負けこそが悪役レスラーの最高の名誉。


観客からは地鳴りのようなブーイングをうけ、いろんなものを投げつけられる。
みんなの嫌われ者。みんなから蔑まれるのが仕事。
家に帰れば、息子も同じく敵意の視線を送ってくる。
「正々堂々と戦わないお父さんは最悪だ」と罵られる。


でも、観客の気持ちを本気で動かせるのは、悪役レスラーだけだと僕は思う。
悪役レスラーである限り、最終的にヒーローに勝つことは許されない。
でも、ヒーローが悪役レスラーを倒したときの、観客のものすごい拍手と
歓喜の声は、悪役レスラーにとって、きっと名誉なことだ。


うまく言えないけど・・・、僕はそういう生き方がしたい。

4、「グリーンピース」


どんな嘘をつくか、僕はそれで人を判断する。
 だから僕自身、みっともない嘘はつきたくない



僕は嘘のつき方に細心の注意をはらう方です。
なぜなら、嘘というものは物事を円滑に進めるために
重要な役割を果たすから。


7割の事実、2割の虚偽、1割のユーモア。
これが理想的な嘘のつき方だと思う。

5、「記念日」


悲しみとか苦しみとか、そういう類いのものは、
ひとりひとりが耐えるより仕方のないもの。
公の悲しみや苦しみ、怒りや喜びなんてものは存在しない。


だから、個々人の悲しみや苦しみを、不特定多数の同胞と分かち合うなんて、
ただの美しい幻想にすぎない
のだろうと思う。
悲しみや苦しみは、まず個にとどまってこそ具体化するものなのだから。


でも、僕はカミングアウトをしました。
去年の今日、ゼミ生のみんなの前で「自分が同性愛者である」ことを公表
しました。自分の苦しさを伝えようとした。理解してもらいたかったのです。


いろんな感情が湧き出てきて、過去のいろんなことが頭をよぎり、
途中で涙が止まらなくなってしまい、何をしゃべってるのか自分でも
わからなくなった。そんな自分に、自分自身が一番驚いた。


でも、もっと驚いたのは、僕が泣きながら話しているのを聞いて、
ゼミ生の何人かが涙を流していたこと。僕の言葉から何かを感じ取ろうと
してくれたこと。ものすごく嬉しかったです。


個々人の悲しみや苦しみを、不特定多数の同胞と分かち合うなんて、
ただの美しい幻想にすぎない。


たしかにそう思う。
でも、一番大切なのは、個のレベルで悲しみや苦しみをきちんと伝えていく
ことなのだと思う。だから、僕はカミングアウトをしてよかったと思っています


あの日以来、ゼミ生のみんなとさらに仲良くなれたような気がするし、少し距離が
縮まったようにも感じる。僕はゼミ生のみんなを信じてよかったと心から
思ってます。僕が自分自身を肯定的に認められるようになり、前を向いて
歩けるようになったのは、この日がきっかけになってたりする。


だから、この日は記念日です。8月2日は記念日。
大げさに言うならば、人生のターニングポイント。
僕が生まれ変わるきっかけとなった日。僕の2度目の誕生日です。

6、「犬」


幼い頃、たぶん僕が小学校の2年生ぐらいの頃、
どうしても犬が飼ってみたくて、オカンにおねだりしたことがあった。
しかし、僕のおねだりは実にあっさりと否定された。
「犬は死んだらかわいそうやからあかんよ」という一言で。


オカンのその一言に対して、
でも、お母さんだっていつか死ぬでしょ?
と幼かった当時の僕は、そう言い返したのでした。
なぜか今でもよく覚えてる。笑


死んだらかわいそうやから飼わない。って、そんな理屈はない。
人間も、犬も、猫も、猿も、キジも、いつかは死ぬ。
生きてるもんはみんないつか死ぬことになってる。
動物だって、人間だって一緒。
生き物はみんな、死ぬために生きている。

7、「変らないということ」


僕が一番好きな季節は秋。
とくに夏の終わりから秋にかけてのほんの1週間ぐらいが、
ものすごく好き。


草花が、虫たちが、大気が、みんなそわそわしてるような
そんな感覚が感じとれて、なんとなく好き。
山が色づき始めて。虫が鳴き始めて。空気の質が変わり始める。


季節の営みというのは、どこまでも律儀なもので、
この世で唯一信頼できるものというか、
「たしか」なもののように思える。
季節の営み。


きっと何十年経っても、変わらずに在り続けるはず。
ずっとずっと変わらずに在り続けるはず。
そういう、いつまで経っても変わらない「何か」が
自分の中にも欲しい。

8、「笑い」


今日は仕事が山のようにあって大忙し。
トイレに立つヒマもないぐらい追い込まれてました・・・


そんな危機的状況の中で先輩と二人、仕事をやっつけていたわけやけど、
そんな切羽詰った状況やというのに、なぜか今日は終始笑いが生まれる。


なんというか、何を言っても「当たる」感じ。
先輩のフリに対する返しも我ながら素晴らしい。


今日はスベリ知らず。自分の才能が怖いぐらいに。笑
こんな忙しい、追い込まれた状況やのに。笑ってる場合じゃないのに。


そして、今日ふと思ったこと。それは、
「笑い」は危機からしか生まれない、ということ。


よくわからんけど、そんな気がした。
笑いは危機から生まれる。それゆえ、笑いと恐怖は紙一重


だからなんやねん、とか言われたら困るけど。
そう思っただけ。

9、「てんしょくのススメ」


好きな事は仕事にしないこと。
好きな事を仕事にすると、好きな事でも嫌いになる。
好きな事は趣味として楽しむこと。


とか言う奴は死んだらいい。
・・・というのは言い過ぎやとしても。
なんとなく癪(しゃく)に障る。


そういう人と自分とでは、たぶん「好き」と「仕事」って言葉の定義が
ぜんぜん違うのだろう。


本が好きなだけでは本屋はつとまらない。
本屋をするには本が大大大大大好きじゃないと。
って、これは誰の言葉やったっけ。忘れた。
でも、僕もこれに同感。


好きな事を仕事にして嫌いになったと言うのなら、
それはきっと最初からそんなに好きじゃなかったんやと思う。
好きさの程度がハナクソ級やったという結論にすぎない。
天職でなければ転職すればよいのです。

10、「とある診断結果」


このタイプの特徴は・・・

●基本的に『仕切りたがり』です。
●奔放で独創的。で、少しわがまま。
●きっちりモノを考えるのが好きです。
●話好きだけど、お互いあまり詮索しすぎない距離が好き。


主な特徴・・・


よくしゃべり、よく笑う、愉快な人です。
周囲に対し、気を使ったりするのがうまいので
誰とでも仲良くなるのかと思いきや、
自分のプライベートな話をするのは
意外に好きではなかったりして
相手に不意にココロの壁を感じさせます。


べったり付き合う友達関係を好まず
ヒトに相談事をすることもあまりありません。


会話は楽しく。
スイングするような
愉快なコミュニケーションをしたいというヒトです。


だからあまりヒトのプライベートにも
ハナをつっこむようなところがなく、
仲良くなってからも、なにかまだ秘密があるような・・・
そんなミステリアスな印象をあわせ持ちます。


↑けっこう当たってる。笑

11、「適量」


人のせいにしない。
ウソをつかない。


自分が仕事をするときに心がけていること。
でも、たまにウソが必要になってくるときがある。


そうなると、そのウソを通すための新しいウソが生まれてきたり。
なかなか難しいですね。


ウソというのは適量が増えだしたときが危険である。
お酒と一緒。笑

12、「どうでもいい話」


どうやらものすごく勘違いしているらしい。
言動のすべてがいちいちチグハグで。
ほんと5秒おきぐらいにイライラさせられる。
何が楽しくてこんな女と一緒に昼食をとらんといかんのか。
仕事だとはいえども。これじゃあ罰ゲームではないか。


「○○さん(←その女)って品がありますよね」
と僕がテキトーに会話をつなげると。
「そんなことないですよぉ、ありがとうございます」って、その女。
お世辞に決まってるだろうが、バーカ。
というか、むしろ皮肉なんだよ。


まぁ、たしかにその女はお上品ではあった。
ただ、僕は「上品」な人は好きだけど、「お上品」な人は嫌いだ。
そんでもって、その違いがわからないは人はもっと嫌い
(ちなみに「品格」という言葉も大嫌い。)


そもそも「品」という言葉の定義は難しいけれど。
個人的に言わせてもらうなら、「品」には若干の野蛮さが伴っていてほしい。
僕の好きになる男の人も、みんなどこかしら「品」がある。
野蛮さを伴った、動物的で、上品な雄。
文章ではうまく表現できんけど。。

13、「遠足のおやつ」


会社での行楽行事があるらしく。
だるいなぁと思う今日この頃である。
そういえば、僕は昔から遠足というものが嫌いやった。
なんで嫌いなのかはよくわからんけども。
みんなで同じものを見るのが好きじゃなかったのかも。


しかし、おやつを選ぶのは好きやった。
200円以内でお菓子の組み合わせを必死に考えたり。
大人になった今はお金が充分にあるから、
もうおやつ選びでウキウキすることもないけど。
だって、買おうと思えばいくらでも手に入るから。


よくよく考えてみると。
「楽しさの前提に自由がある」というのは間違っているのかも。
制約があるからこそ楽しめるのであって。
不自由であるからこそ楽しめるのであって。
つまりは。楽しさの分母は自由なのかも。


にも縛られてない状態を「自由」とするなら、
それは酷く楽しくない状態
なのかもしれない。
ふとそんなことを思いました。

14、「子どもの視野」


広い視野ほどいらんものはない
と前にも書いたような気がするけど。
最近、仕事をしてる中でよくそう思うことがある。


とことんなまでに狭い視野というのはある意味最強
ひとつのものしか見ずに、周囲の風景なんてまるで目に入らず。
まるで子どものような視野。狭い視野。


こういうものをずいぶんと忘れてきてるような気がする。
もっと子どもの視野に。というより、子どもそのものに。
近づかねばと感ずるこの頃。


視野狭窄的なものを×とする意味合いはよくわかる。
けれど、そうじゃなきゃ得られないものもいっぱいあったり。
大人になるのも悪くはないけど。
良くもないなと思う最近。

15、「本気」


かっこ悪いことってあんまり好きじゃないのやけど、
かっこ悪いと思うことをめっちゃ本気でやってみると
ごくたまにそれがかっこ良く見えることってある。


僕はそういうかっこ悪さ(かっこ良さ?)なら好きかもなぁ、
なんて、どうでもいいことをついさっき思った。


とある小説を読んでて思ったのやけど、その感想とかは
また明日書くとしよう。今日は、ただひたすらに、眠い。

16、「大人と子ども」


子どもは大人のミニチュアではない。
でも、子どもと大人がまったく別の生き物かと云うと
そうでもないような気がする。


最近よく思うのは、子どもから大人になるにつれて
体が大きくなるかわりに、何か他のものがちっちゃくなっていってる
そんな風に感じるのですね。


それはなんというか。言葉では表現しにくいけど。
感度とか。器とか。なんやかやです。


識(し)りすぎることで世界が狭まる。なんてのは嘘っぱちやと思うけど。
識らんでもよかったことはけっこうあって。そういうのが鬱陶しい。

17、「Just can't help it.」


我慢の限界は快楽の頂点である


なんて言ってる僕はドMなのやろか。
でも、これ以上無理ってところまで我慢すると、
すんごい快楽にたどりつける。


何の話をしているのかはさておき。
ただ、我慢するのって好きやな、と思ったわけで。
正確に言うなら、我慢という選択をすることが好き。かな。


しょーもない我慢は大嫌いやけどね。
絶対にしません。

18、「距離感」


この晴れた日曜日に、何もやりたいことがないわけではない。
かといって、何がやりたいんだ? と訊かれるとやはり困るが、
たとえばこれまでに一度も行ったことのない場所で、
これまでに一度も会ったことのない人と、
恥ずかしいくらい正直な言葉で、
語り合ったりしてみたい。


パレード/吉田修一

19、「仕事」


毎日毎日仕事に行くのが苦痛で。
週末の休日だけが楽しみで。仕事中も
「早く仕事が終わらんかなぁ・・・」なんて思ってるだけの人間。
年に何回かの大型連休だけを心待ちにしてる人間。
死ねばいいのに、と思う。


そういう人間がいるということは理解できるけど。
正直、そんな人と絡みたくないし、話もしたくない。
なんのためにその職業についたの? と問いたい。
そんなにいらんかったら辞めろよ。
僕は1秒たりとも、自分が「おもんない」と感じたことはやりたくない


逆に、自分がおもろいと感じることは、どんだけしんどい思いを
することになってもやり遂げたいと思う。
それは努力とか苦労とか、そういうものじゃなくて。
好奇心というか。おもしろさの頂点に到達するための
ちょっとした通過点としてのしんどさというか。
そういうのは、むしろ自分から好んで遭遇していきたいぐらいです。

20、「まじめくさった人に大した考えはない」


まじめな人は好き。
でも、まじめくさった人は大嫌い。
だって、まじめくさった人に限って、何も考えてないことが多い
思考停止って云うんやろか。たぶんそんな感じ。


僕が好きなのは、何も考えてない風に見えて、
実はなんやかんやと考えてる思慮深い人。
というより、不まじめさを極めきった、特有の色気がある人が好き
だらしなさの中に垣間見える一筋のまじめさ、みたいなんが好き。


なんでこんな話になったかというと、
今日出会った人があまりにも素敵な「不まじめ人間」やったから。笑
久々の一目惚れですね。
これを恋と云わずになんと云おうか。

21、「肩書き」


僕はあまり「肩書き」というのが気にならないというか、
そんなものは屁とも思わんし、はっきり云ってどうでも良いので、
相手の肩書きがものすごくても、なんとも思わんというか、まったく動じない。


そういう自分を「若いのに堂々としてる」とかって勘違いをする人がおって、
妙に偉い人から好かれたりすることが多くて、ほんまに人を見る目がないなぁ、
なんて思ってしまう(あほちゃうか)。


なんやよくわからん文章になってきたけど。
肩書きなんてものはそんなに大事ではなく、肩書きを取っ払ったときに
その人に何が残るかが大事
なのやと思うわけです。
中身のある人間になりたいものです。

22、「ゆっくり歩け、たくさん水を飲め」


歩くの早いねと云われる。
そして、はじめて気づく。
たしかに歩くの早いよね、自分。


一人で歩いてるときなんて、めっちゃ早歩きやしね。
前を歩いてる人をどんどん抜かす。
これでもかというくらい。どんどん追い越す。


で、信号待ちで追いつかれる。
いつものこと。
どないやねん、って感じですね。
自分の人生そのもの。

23、「なんだかうまく語れないんだ」


愛するものについて語るとき。
いつも僕は流暢になれない。
これはどういう現象なんやろか。
語りたい気持ちが先行して、言葉が追いついてこない。


でも、別にうまく語れなくてもいいや。
なんて、心のどっかで思ってたりもしている。
だって、あまりにうまく自分の思いが伝わってしまうと、
かえって不安になってしまったりするから。


わかってほしいのに、わかられたくない
これは矛盾しているのかもしれんけど、
とっても素直な心境やと自分で思う。
気持ちを伝えたい。けど、そんなに簡単にはわかられたくない。
つまりはわがままなんですね。

24、「知らない路地を歩くように生きたい」


今日から熊本出張。
地方出張に行くと、必ず空き時間を見つけて
その街の周辺を散歩している。
目的は「その街の野良猫探し」
私的恒例行事です。


今日も何匹か発見した。
子猫連れの母猫と目が合い。
威嚇されたので威嚇し返した。
しかし、向こうも怯まず。
人間も猫もそうやけど。子を持つ母は強いな。


地方出張に限らず、家の周辺でも野良猫探しを
よくしている僕なのやけど、彼らの世界を覗いてると
無性に野良猫のように生きてみたいと思ってしまう。
土台無理な話なんやろけどね。
知らない路地を歩くように生きてみたい。

25、「振れ幅」


コンプレックスのない人間に魅力はない
理由はよくわからんけど、なんとなくそう思う。


あと、小さな短所しかない奴には小さな長所しかない
これもよく思うこと。


自分のマイナスな部分というのは誰にでもあるけど。
そんなもん、たかが知れてる。
そう思い込むことが大事じゃないのか。

26、「かたちのないもの」


かたちのあるものと、かたちのないものと、
どちらかを選ばなくちゃいけないとしたら、
かたちのないものを選べ。
それが僕のルールです。


東京奇譚集/村上春樹

27、「口について思うこと」


目は「見る」 耳は「聞く」 鼻は「嗅ぐ」 という機能がそれぞれあって。
口にももちろん機能があるのやけど、なぜか他のと違って「食べる」と「喋る」の
2つの機能があったりする。なんで口だけ2つも機能があるのやろうか
と、さっきふと思いついて考えておった。


神様の設計ミス的な感じなのでしょうかね。なんとなく不思議です。
それとも、口にはそもそも「食べる」という1つの機能しかついてなかったけど、
人間の進化とともに「喋る」という機能が付随してきた、ってことなんかな。
よくわからんけど、なんとなくそんな感じもしてくる。


人間が進化する過程で、生殖以外のセックスをするようになったのと
同じような調子で、進化の過程で口に「喋る」という機能が生まれた。
ってことはないのかな。
そうであれば、「喋る」という行為は妙にエロティックな色彩を帯びてくる。


僕は好きな人ができると、もっといっぱい喋りたいってよく思う。
それはもっといっぱいセックスしたい、というのと同じ具合なんかな。
ちょっと違うのかな(きっと違うな)。
ちなみに僕は、人の顔のパーツでいうと「口」が断然好き。
チューするのも好きです。酔ったら人を選びません。

28、「想像する。考える」


岡田利規「わたしたちに許された特別な時間の終わり」(新潮社)


誰にでも自信をもって薦められる作品ではないけど。
個人的には2008年のベストやと確信してます。


高橋の源ちゃんが「イラク戦争についての最も優れた日本語の小説だ」
なんてことを言ってるけど。
これについては半分「同意」って感じかな。


戦争ってなんやろな。って考えます。
人が人を殺すのは良くない。なんて誰でもわかってることやのに。
それでも起こっているのが戦争です。


そもそも戦争って「人が人を殺す」のやなくて「国が人を殺す」
って印象があるかな。いや、殺し合いをしているのは「国」ではなく
「国に名を借りた、もっと別なもの」のような気もしてくる。


多くの犠牲があったからこそ、今のわれわれの平和がある。
みたいな胡散臭いことを平気で言う大人が嫌いです。


犠牲になった人たちは、別に僕たちの平和のために死んだんじゃない。
だから、そんなことを平気で言う大人はどうかしてる。


ただの「おごり」と「思考停止」です。

29、「偏食」


唐突やけど、偏食をする男の人が好きです。
一回ハマると毎回おんなじものを食べたり、飲んだり。
そもそも「偏食」という漢字の雰囲気が良いね。


偏食というのは僕の人生のテーマでもある。
と、今勝手に決めてみた。笑


偏ることの素晴らしさよ
バランスの良さなんて死ねばいい。
と、たまに思うことがあります。

30、「助走なし」


今更ではあるが猫を飼っている。
知っておる方もおられるだろうが、猫を飼っている。


今日。ぼーっとうちの猫を見ていて気づいたのやけど。
猫のジャンプ力ってすごいね。


今の今までダラダラ歩いてたかと思ったら。
急にぴょんと本棚の上までジャンプ。
助走なんてなしですもの。


当たり前やと云われるかもしれんけど。
猫のジャンプに助走がないことに、
今日はじめて気がつきました。


そして。ほぉ、なるほど。とか思いました。
かなりいけてますね、猫のやつ。

31、「非論理的な、身体的な」


論理的な言葉なんて面白くもなんともない
論理の「ワク」内で語られることなんて、たかが知れてるから。
古川日出男の作品を読んでいるとよくそう思う。
古川日出男は、論理の「ワク」外で言葉を転がすのが非常に上手い。
それはなんというか。身体的な言葉?って表現できるのかな。


論理的じゃない言葉。と言ってしまうとよく誤解されるのですが。
それは秩序の無い単語の集まりというわけではないのです。
何回かここにも書いたことがあると思うが。
混沌としているように見えて、実は秩序のあるもの
それが一番美しくて。腹に響くということです。

32、「今日の私は何をするのか」


人生を語りたがる人というのは信用ならない。
遠くに焦点を定めて。先のことを語ることに。
一体どれだけの意味があるというのか。
そこには曖昧で、抽象的なニュアンスしか含まれていません。


今何を食べるのか。今何を読むのか。今誰が好きなのか。
要は今何がしたいのか。いや、今何を「する」のか。
それが人生を語ることだと言えるのではないのか。
具体的な「今」しか、僕は信用できません


遠くを見ながら何かを語るということは。
何かを語っているように見えて。
実は何も語っていないのと同じ。
でも、語っている本人は。きっと自分の言葉が
上滑りしているなんて、思ってもいないのでしょう。

33、「両手に空白を」


降水確率50%なら傘を持たない。
だから、よくびしょ濡れになります。
傘を持たない理由は、何かを持つのが邪魔くさいから。
手は常にフリーが望ましいです。

34、「安全でも適切でもないところ」


瞬間の集積が時間であり、
時間の集積が人生であるならば、
私はやっぱり瞬間を信じたい。
SAFEでもSUITABLEでもない人生で、
長期展望にどんな意味があるのでしょうか。


泳ぐのに、安全でも適切でもありません/江國香織

35、「中間なし」


僕には中間というものがない。
やるか、やらないか。
好きか、嫌いかしかなくて。
要は、好きなことはいつまででもしてたいし、
嫌いなことは1秒たりともしたくない。
で、その感情が顔にすぐ出る。


だから、上司から「こいつは扱いにくい」と
思われるのは必然なのである。
でも、そんな僕の長所を見極めて、うまい具合に
僕を使ってくれる人もいたりして、そういう人の下では
ものすごくいい仕事をします(自画自賛)。


なんというか、そういう自分の性格は直さないといけないし、
サラリーマンとしては0点なのやけど、やっぱり好きなことを
好きなだけしていたいという気持ちが強すぎて、うーん・・・
となってしまうことが多々。
強と弱のスイッチしかないという自分の欠点

36、「昼休みの雑談」


僕が仲の良い友達は。
たいがい僕とは正反対な感じ。
類は友を呼ぶ、なんて。
僕にはまったく当てはまらない。


こないだ旅をしたいなんて書いたけど。
僕は基本的には「動かない」タイプです。
どこか遠くに行って、目新しい何かを見るよりも。
ずっと見慣れてる日常の中で、見落としがちな何かを
見つける方が楽しい



自分と正反対のタイプ。つまり「動き回る人」と話していて。
今日なんとなく思いついたことがある。
それは・・・「たくさん動いてることと、どこにも行かないことは、
それほど変らないんじゃないか
」ということ。
過程は違うけど、行き着く先は同じじゃないのかなって。


よくわからんけど。そんなことを感じた。
にしても、自分と思考回路が違う人と話してると
なんでこうも面白いのだろうか。
これは余談やけど。
僕と仲の良い友達はたいがい理系人間です。
不思議なものです。

37、「あなたの視点を読みたい」


人を好きになると必ず思うこと。
「あなたの視点を読みたい」
僕が視ているこの景色。
あなたの目にはどのように映っているのか。
共有できればステキなもんです。
そして。脳内世界も上に同じ。
身体だけじゃなく。
思想ごと犯されたいと思うことがよくあります。

38、「今、ここ、私」


いつも唐突で申し訳ないが、
建設中のビルとかを眺めるのが好きで、
よく工事現場を外から見学している。
本日もしかり。
ちょっとお仕事サボってみました。


いつも思うことではあるが。
世界中でこんなに多くの人たちが、いろんなものを
構築している
のである。
ちょっとこれは地味にすごいことです。
(いや、派手にすごいかもです)


ところで、工事現場をじーっと眺めている見学者は、
僕以外にもいつもいて、その人たちはたいてい男性です。
今日は小学2年生ぐらいの男の子でした。
片手には黄色の風船。ランドセル姿。
建設途中の鉄骨を背景に、風に揺れる黄色が鮮やかでした。


で、何の前触れもなく「黄色が好きかも」と思いました。
なんのこっちゃよくわからんけど。笑
今、この瞬間、ここに居れてよかった、って感じました。
そういうときがたまにあるから、生きてて楽しいです。

39、「曖昧な、矛盾した、反造形的な、偶然な、」


曖昧な、矛盾した、反造形的な、偶然な、
そんな芸術作品を好みます。
そういうものに出会ったとき、
背筋がぴんと伸び、かすかに身震いし、
体中に鳥肌が立つ。
こういうものと出会える数が多ければ多いほど、
自分のものの見方が深まる。
そんな気がします。

40、「世襲が好きではない件」


まったく携帯がなりません。
悲劇的なぐらいに。
なんでだろう。
僕の部屋って圏外でしたっけ。


なんて思いつつ携帯をながめると。
がっつり3本立っておった。
・・・無念。


とゆーことで。
あまりにもヒマやから民主党の党首選挙の演説を見てました。
そして、見たことを即座に後悔しました。


あのボンボン丸出しな感じといい。
アホの一つ覚えみたく「友愛」を連呼し。
だいたい「愛のある政治」ってなんやねん。
おまえはセーラームーンか。


個人的に言わせてもらうなら、あんな演説より
中川酩酊大臣の記者会見の方が100万倍マシやった。


今回の民主党の党首選挙って、事実上、次期総理大臣の
予備選挙みたいなもんでしょ?
麻生と鳩山って・・・
選択肢が「鼻くそ」と「耳くそ」では選びようがない。汗


もし、民主党が次の衆院選に勝ち、鳩山が首相になると、
安倍(岸) → 福田(福田) → 麻生(吉田) → 鳩山(鳩山)
と、4代続けて元首相の子か孫が首相になるわけで。
(世襲議員ということだけなら小泉も含めて5代連続)。


もうなんか。ゲップが出そうですね。

41、「日本の位置」


7月上旬並みの暑さだと云うじゃありませんか。
外はまだ涼しい風が吹くものの、うちの会社の中は
うだるような暑さです。例えるならまさに・・・


銭湯の脱衣所。


しかし、5月でこの暑さというのはどういうことか。
今日、世界地図をながめていて思ったのは、
赤道からこんなに離れてる日本が、なぜこんなに暑いの?
ということ。


ほんとの日本の位置は、赤道のご近所だったりして。
でも、そんなだと国民が働く気力を失うから、
政府がニセモノの地図を作ったのではないか。
うん。きっとそうに違いない。
国土地理院め。


早くも秋の到来が待ち遠しい。